瓦が落ちる→瓦を止めてあった土が露出→種が飛んでくる→草が生える
草、凄いなあ。
熊本地震で大きな被害が出た熊本城。
修理には莫大な費用がかかるのですが、
熊本城、築城から四百年。
なんども大きな地震に見舞われ、その度に復活させてきた様です。
増築の後も随分あります。
当時から残っている建物もあるし、当時の工法を使って立派な復元をしたものもあります。
しかし、この草が生えている天守閣は、中身がコンクリート造り。
観光に来られた方が残念がるんですけど、
実はこれが凄い。
西南戦争時に、大部分が焼失した熊本城ですが、
天守閣も例外ではありませんでした。
これは明治政府軍がやったのか、薩摩軍がやったのかは謎のまま。
どちらにも火災を起こす戦略上の利点はあった様です。
で、このなくなった天守閣を残念に思っていた一人の豪傑おじいさん。
じゃあ俺がちょっと天守閣立ててやるわ!
先物取引の相場師だったこのおじいさん、
設けたお金でなんと天守閣を立ててしまったんです。
すんごい爺さんです。
今のおじいさん達はお金溜め込むばかりですかね(笑)
こういうすんごい人はなかなかおらんと。
そう考えるとこのコンクリート造りの天守閣もいいなぁと思ってしまいます。
あれは再建しないといけないものですね。
因みに四百年前熊本城を築いた築城の天才加藤清正は、
あまりにもキレものだったので、一代限りで清正の死後、加藤家は左遷されてしまいます。
で江戸時代は細川家がずっと肥後を収める事になりますね。
幕府から一国一城で城を簡素化する命令出てるのに、薩摩藩がいるとはいえ、とんでもない要塞を作ったからな。。。
そんなお金は天草からの幕府レスの蜜貿易。
同時期に肥後な入った小西行長と加藤清正は宇土→天草ラインを取り合い戦っています。
このラインは古代の阿蘇氏の時代から利用されており、大陸との直接貿易でガンガンお金が入ったそうですよ。
熊本城。
やはり熊本のシンボルですね。
きっと再建できます。