今は町の小さな神社みたいになっています。
しかし、
こちらの神社、阿蘇四社の一つ。
古代、日本の運命を握る阿蘇山の祭祀監視を任された阿蘇氏の拠点の一つです。
九州を焼き尽くした阿蘇の山の破局噴火は数万年前の事ですが、
巨大な噴火が起これば日本が闇に包まれ作物が取れず滅びてしまう、と言うのを古代日本人は知っていました。
朝廷が阿蘇氏に権力を持たせた所以ですが、
阿蘇氏はその財力を維持するために重要だったのが、
海路です。
福岡方面の太宰府などから大陸へのルートは朝廷に抑えられていましたので、
阿蘇→甲佐→熊本平野→郡浦→天草からの大陸ルートがとても重要だったのです。
そのルート上に、
阿蘇神社、甲佐神社、健軍神社、郡浦神社などを設置、
拠点として独自に海外貿易をして財力を維持していました。
江戸時代になってからも、幕府の影響の少ない天草ルートは加藤清正の熊本城築城資金などに使われていた、
かなり重要な拠点でした。
寺社が役所や警察の役割を果たし、離れた地域を治めるのにも使われていましたからね。
そんな郡浦神社ですが、
お守り買うのにも近所に住む宮司さんのお家の人に電話かけて来てもらう感じです(笑)
私の小さな頃は、
こちらの境内で剣道の試合が開かれていました。
砂利の上に裸足で剣道やるのが印象に残っています。
そのお話をしたら、
その頃は剣道の高名な先生がおられて、その方が亡くなってからは大会もなくなったんですよ、との事。
なんだが寂しい気もしますね。
しっかりお参りをして帰りました。